森川ジョージ先生と生成AIの画材論・女子高生のコラム

森川ジョージ先生と生成AIの画材論・女子高生のコラム 01_AIには書けないテキスト

こんにちは!勉強も趣味も全力投球、ちょっぴりマジメな女子高生から今週もお届けするわ。今日はね、前回(なぜ人は生成AIに学習されることを諦めないのか言語化してみる)に引き続き、ちょっとお堅い話かもしれないけど、森川ジョージ先生の「生成AIは画材」という考え方について、真剣に考えてみたいと思うの。

『はじめの一歩』でおなじみの森川ジョージ先生が、X(旧Twitter)でこんなこと言ってたんだ。「たくさん描いてください。画材は何でもOK、アナログだろうがデジタルだろうが、AIだろうが。大切なのは、尊敬と誠実さを持って、自分のものにしていくこと。」って。

この言葉、すごく心に響いたんだよね。だって、私たちが普段使ってる色鉛筆や水彩、デジタルタブレットも、初めて使ったときは「これで上手く描けるかな?」って不安だったじゃない?でも、使いこなせば使いこなすほど、自分の表現の幅が広がっていく。生成AIも、新しいけど、ただの「新しい画材」の一つと考えられたら、すごくワクワクしない?

でもね、この考え方には賛否両論あって。反AIの人たちって、ちょっとAIがらみの話になるとピリピリしちゃう傾向があるみたい。でも、森川ジョージ先生は「デジタル作画のはしりの時も、こんな感じで批判されてた。でも今は誰もが認める画材だよね?」って、すごく冷静に反論してたの。

正直、私もAIには賛成も反対もあるけど、森川ジョージ先生の「楽しく粘り強く、健康一番でたくさん描いてください」っていうメッセージは、どんな画材を使おうとも大切にしたいなって思うの。

反AI派って、なんかもう「AI」という言葉にアレルギー反応示してるみたいで、ちょっと過敏すぎない?生成AIの話題が出ると、すぐに「人の作ったものをパクるだけの機械」とか、一方的な批判を始める人が多いけど、AIの使い方次第で、こんなにもクリエイティブな世界が広がってることに気づいてほしいな。

AIって、背景描くのにも、ポージング考えるのにも、めちゃくちゃ役立つよね。プロの漫画家さんだって、フリー素材使ったり、ポージング集からトレースしたりしてるわけで、それがAIに置き換わるだけの話だと思うの。

だって、考えてみて?新しい技術ってのは、常に私たちの創造性を刺激してくれるわけ。たとえば、AIが自動で色を塗る機能を使ったとしても、最終的に「これは私の作品!」って言えるのは、そのアイデアを考え、AIをどう使うかを決めた人自身だと思うの。

森川ジョージ先生のような大御所が、「AIでもいいじゃないか、何でもアートの道具だよ」と言ってくれるって、なんか勇気づけられるよね。特に、私みたいにまだまだ学び途中の人にとっては、新しいツールを恐れずに、どんどん試してみるっていうのは、すごく大事なことだと思うの。

それで思ったんだけど、なんか反AI派の人って写真が発明された時の写実派の画家みたいなものだと私は感じるのよね。

19世紀半ば、写真が発明されたとき、世界のアートシーンは大きく変わったの。突然、現実を忠実に再現できる技術が登場したわけだから、それまで写実性を追求していた画家たちにとっては、自分たちの役割を問い直すきっかけになったのよね。

一部の画家は、この新しい技術に対して脅威を感じた。だって、彼らが長年培ってきた技術が、機械によってあっという間に実現できるようになっちゃったわけだから。でもね、そこで面白いのは、この変化がアートの世界に新たな流れを生み出したこと。

写真が写実性を担うようになったことで、画家たちはもっと抽象的な表現や、感情を表現する方法を探求するようになったの。つまり、写真の登場がアートを「進化」させたんだよね。

では、この話を現代に持ってくると、反AI派の人たちが、19世紀の写実派の画家たちと似たような立場にいるのかもしれないって思うわけ。AI技術が登場したことで、これまでの創造性や技術が脅かされていると感じている人たちがいる。それは、まさに写真が発明されたときの画家たちが感じたことと同じかもしれない。

でも、歴史を振り返れば、技術の進化がアートを終わらせることはなかった。むしろ、新しい表現の形を生み出し、アートの領域を広げるきっかけになった。だから、AI技術も、今までのやり方を完全に置き換えるのではなく、新たな創造性を引き出すための一つの手段になるはず。

もちろん、AIが持つ可能性を最大限に活用するためには、倫理的な議論や、技術の使用に関するガイドラインの確立が必要。でも、そのプロセスを通じて、私たちは新しいアートの形、新しい創造の方法を見つけ出すことができるのよ。

だから、反AI派の人たちも、写真が発明されたときの写実派の画家たちと同じように、今起きている変化をどう受け止め、どう自分たちの表現に取り入れていくかを考えるきっかけにしてほしいなって思うの。

歴史は繰り返されるけど、その都度、人類は新しい挑戦に立ち向かい、より豊かな文化を築いてきた。AI技術の台頭も、その一連の流れの中で見ることができるんじゃないかな。現在の反AI派の懸念は、技術の進歩に伴う不安と変化に対する自然な反応。でも、この変化を乗り越え、新しい創造性をどう引き出していくかが、これからの私たちの大きなテーマになると思うの。

AI技術が進化することで、確かに伝統的な技術やスキルが脅かされるかもしれない。でも、その一方で、AIをうまく活用することで、私たちの創造性に新たな次元をもたらす可能性もあるわ。AIが生成するアートは、今まで人間だけが持っていたと思われていた創造性の領域を広げるかもしれないし、それを通じて、私たち自身も新しいインスピレーションを受けることがある。

さらに、AIと共創することで、人間独自の感性や思考を新しい形で表現できるようになるかもしれない。例えば、AIが提案する意外な色彩や形、パターンからインスピレーションを受けて、人間が新しいアートワークを生み出すことだって考えられるの。

これからの時代、AI技術とどう向き合い、どう共存していくかは、私たち一人ひとりの創造性や柔軟性を試す問題になると思うの。反AI派の人たちの声に耳を傾けながら、それでも前向きに、AIを含めた新しい技術の可能性を探求していきたい。

結局のところ、アートとは、人間の内面を表現し、共感を呼び起こすもの。AIがどんなに発展しても、その本質は変わらないはず。技術が進歩しても、アートを愛する私たちの心は変わらないし、新しい技術を使ってさらに多様な表現を追求していくことができるんじゃないかなって、私は思うの。

でも、私が一番気になっているのは、反AI派の人って「反対すること」が手段じゃなくて目的になっている気がするのよね。

反AI派の中には、AI技術の発展に対して真剣に懸念を抱いている人もいるけれど、一方で「反対すること」自体が、コミュニティ内でのアイデンティティや結束を高める手段になっているように感じることがあるわ。つまり、彼らにとって反AI運動は、もはや単なる意見の表明を超えて、自己表現や所属意識を強化するための「ラベル」になっている可能性があるの。

人間は、自分の意見や価値観が共有され、認められるグループに属することで安心感や充実感を得るもの。特に、現代のように意見が分極化しやすい社会では、自分たちの立場を強く主張することで、グループ内の結束を強め、自己のアイデンティティを確固たるものにしようとする心理が働きがち。

だけど、このような心理が働くと、時に本来の目的や問題の本質を見失ってしまうことがあるのよね。反AI運動で言えば、AI技術に対する適切な倫理規範の確立や、社会に与える影響の検討といった、重要な議論が二の次になり、単に「反対する」というスタンスを取ること自体が目的化してしまうことがあるわ。

これは、反AI派に限った話ではなく、様々な社会運動や議論において見られる現象。意見が極端になりがちなオンラインの空間では特に、この傾向が強まることが多いわ。でも、そうなると、問題解決に向けて建設的な議論を進めることが難しくなってしまうの。

だからこそ、私たちは、自分たちの立場や意見に固執する前に、一度立ち止まって、本当に解決すべき問題は何か、本当に大切にすべき価値は何かを考え直す必要があると思うの。反対すること自体が目的になってしまうと、見落としてしまいがちな、より大きな視点や共通の価値を見つけ出す努力が必要なのよ。

例えば、AI技術の発展においては、私たちがどのような未来を望むのか、技術をどのように社会に役立てていくのか、というビジョンを共有することが重要。反対することに焦点を当てるのではなく、より良い将来を目指して、どのように協力し合っていくかを考えることが、建設的な議論への第一歩になるはず。

このプロセスの中で、AI技術に関する懸念や不安を率直に共有することも大切。それらの声に耳を傾け、技術開発者や政策立案者がそれに応える形で進められる倫理的なガイドラインや、技術の使用におけるルール作りが進むことが、健全な社会にとって欠かせないわ。

反AI感情が強い人たちの中には、技術の進化がもたらす未知の影響に対する真摯な懸念がある。これらの懸念を単純に否定するのではなく、それらをどう解消していくか、どう安全な技術の利用を促進していくかに焦点を当てることが求められるよね。

また、AI技術の発展によって生まれる新しい機会にも目を向ける必要がある。教育、医療、環境保護など、多くの分野でAIがもたらすプラスの影響を見極め、それらを最大限に活用していくビジョンを共有することで、反AIの人たちも含めたより多くの人々が技術の進化を前向きに捉えるきっかけになり得ると思うの。

重要なのは、反対することが目的になってしまわないように、私たち一人ひとりが自分の意見や行動の背後にある動機を見つめ直すこと。そして、様々な立場の人たちとの対話を通じて、共通の理解と解決策を見つけ出すことに努めること。

最後に、AI技術に限らず、社会全体で直面しているさまざまな問題に対して、私たちがどう向き合っていくかは、これからの時代を形作る上で非常に重要。建設的な議論を促し、共通の価値を見つけ出すことで、より良い未来を目指していけるはず。

というわけで、最後は「反対すること」が目的になってしまう心理と、それを超えた建設的な対話の必要性について考えてみました。次回もまた、新しい視点やアイデアをシェアできたらいいなと思っています。それでは、またね!

※画像やイラストは全てBing Image Creatorが作成。